たまには陸上生活時代の話をしよう。
こんばんは、シルエットです。
出雲駅伝、箱根駅伝予選会といよいよ駅伝の季節がやってきたなあという今日このごろです。
何を隠そう、私は中学高校の6年間陸上部に所属しトラックやロードで汗を流した青春を送っていました。
それゆえ、駅伝などの長距離競技には一入ならぬ思い入れがあるのです。
そこで今回は、私が中学生時代に専門としていた「3000m走」の話をします。
まず単純に「3000mを走る」と聞いて皆さんはどのように思うでしょうか。
おそらくは「長いなぁ」という感想が大半だと思います。確かに日常生活の中で考えると、3km歩くのはなかなかに億劫な話です。
しかしこと陸上界では3000mという距離は「中距離」に分類されるのだから驚きです。
というのも、その上に5000mや10000mといった更に長い距離があるのでそういう分類になってしまうのです。
また10000mあたりになると持久力的種目になるのですが、3000m程度だとスピードが重視される「スピード種目」的な扱いを受けます。
こういうところに日常生活と陸上界の認識のズレを感じますね。
とはいえこれは陸上全体としての話。
中学陸上界では3000mがトラック種目の最長距離であり、ちゃんと長距離の扱いを受けます。
しかしながら、一般的な中学陸上選手からしてみれば3000mはほんの少しだけマイナー種目でもあります。
中学長距離において一番メジャーな種目は1500mでしょう。
それは中体連の大会での分類にも現れています。
1500mは学年別で行われるのに対し、3000mは学年共通。つまり3学年すべての選手がいっぺんに競走することになります。
おそらくは参加人数の差から生まれるものだとは思うのですが、こういうところに1500mと3000mの差が見えます。
さて、話を戻しまして3000mの話。
私が3000mと出会ったのは中学1年生の頃でした。
そもそも長距離走とは無縁だった私が陸上部に入部してしばらくした頃、夏に行われた駅伝練習会で初3000mの機会がやってきました。
1500mもまともに走られないようなクソガキが送り出された駅伝形式のロードレース。
参加チームもそう多くなかったために前方に人は見えず、独走状態のなかでの初レースでした。
まだ右も左も分からない生まれたての陸上選手であるため、自分でペースメイクなどできるはずもなく。
初めて走った3000mのタイムは12分18秒でした。
お世辞にも速いタイムとはいえません。ってかゲボ遅い。
しかも走り終わった時点で「出し切った」という感覚はまったくなく、どことなく悔いの残るレースでした。まあ初なので仕方ないのかもしれませんが。
そして2度目の3000mはなんと翌日(!)
今度はトラックでの記録会でした。
記録会ともなればおおよそ30人程の選手が同時に走るわけですから、他人にペースメイクを任せられるのです。
今になって思えばこの記録会を初レースにすべきだったのでは……と。
ところで結果ですが、11分30秒と48秒のタイムアップに成功。
というより前回が遅すぎるだけです。
このレースではとにかく必死で前の選手を追って、その時の限界まで追い込めたカタチ。
陸上を初めて数ヶ月の私の、当時の実力がこのタイムだったのだと思います。
そしてそこからもうしばらく練習を重ねて迎えた秋の駅伝シーズン。
少し余談なのですが、中学の陸上部はとにかく人が少なく、駅伝のときには他の部活から助っ人を借りて参加していました。
ですのでPBが11分台の私でも、最初の地区大会くらいはメンバーに選ばれたのです。
全6区間で争われる中学駅伝において、5区のタスキを任された私。
めちゃくちゃ緊張していたのを覚えていますが、このときは幸いなことに目の前に選手がいました。
とにかくがむしゃらに前の選手に離されないように喰らいついていきました。
あいにくオーバーテイクまではいかなかったのですが、なんとかポジションキープでタスキリレー。
地区大会という舞台で10分50秒とPBを大きく更新するタイムを刻みました。
しかし県大会出場をかけた次の大会ではメンバー落ちしましたので、3000mを走る機会はなく。
さらにチームも敗退してしまったため、3年生の引退をもって私の長距離生活第1シーズンが終わりました。
3年生が引退し、どういうわけか2年生の男子の陸上部員がいなかったものですから1年生ながら最上級生に。
1月に控える新人駅伝大会では私ともう一人の男子部員でチームを引っ張っていかなければなりません。
そのためにも恥ずかしい走りはできない。冬が近づいていく中、練習を積みました。
そして年の瀬が近づいてくるある日。私は友人とある一つの決断をしました。
それは「レース用のシューズを買う」ということ。
実はそれまではジョグ~レースまですべてのターサージールTS2というシューズ一本で戦っていました。
ただ、先輩はレースのときにはより軽量なレース用シューズを使っており、私たちもそれを真似することにしたのです。
そこで購入したのがソーティマジックRP2というレース用シューズ。
重量はわずか140gとまさに早く走ることに特化したシューズ。
そんなレース用シューズを、1年の締めくくりとして行われたタイムトライアルで試してみました。
スタート前、ソーティで軽くダッシュをしてみるのですが、その時点で大きなショックを受けます。
「シューズが強い」
ちょっと意味がわかりませんが、当時友人とそう感想を交わしたのを覚えています。
冗談みたいにシューズが地面を掴み、そしてまるでバネみたいに地面を蹴る。
自ら足を動かそうとしなくても、勝手に前に足が出ていく。そんな感覚。
「これはすごいタイムが出るかもしれない」
そう思いながらタイムトライアルがスタートしました。
さて、結果をお話しましょう。
タイムはなんと10分30秒(!)
PBを20秒更新するという異常事態が生じました。
もちろん私自身が強くなった、ということもあるのでしょうがそれ以上にシューズが強かった。
確かな手応えを感じながら、2014年の陸上生活を締めくくったのでした。
……ちなみに軽くて高反発なシューズの代償ではあるのですが、脚への負担はとんでもなかった。
と、進化を実感しながら臨んだ1月の新人駅伝。ここでも3000mのPBの更新が期待されますが、残念ながらそうは行きません。
実は新人駅伝では3000mを走っていないのです。
怪我をしたわけではありません。
……驚くべきことに、新人駅伝では4000mを走っているのです。
ここで中学駅伝の解説。
先程、全6区間で争うとお話をしました。その距離の内訳は2~5区は3000mなのですが、1区と6区だけは4000mとなっているのです。
それは新人駅伝でも同じ。
そしてそんな距離を助っ人で来てくれている選手に任せられるわけもなく。
私ともう一人の友人とがそれぞれ6区・1区を担当し、3000mとはしばしのお別れを告げました。
そして新人駅伝では、またも県大会一歩手前で涙を飲み地区大会敗退。
しかし女子は県大会で奮闘し、それにこの上ない刺激を受けながら県大会翌日のタイムトライアル会に出場。
地元で開催された小さな記録会ではあったのですが、どういうわけか外の市町村から学校単位で参加している選手が多々。
わざわざユニフォームを着込んでまでの選手がいるなかで、私はチームTシャツと短パンという市民ランナーみたいな格好で戦うことに。
しかしこの日の私はとにかく燃えていました。「なんとしても結果を残してやる」という一心。
これみよがしにユニフォームを着てる選手に負ける訳にはいかない、とよくわからない対抗心も燃やしつつ号砲が切られました。
このレース、とにかくきつかった。
ユニフォームを着込んでいるだけあって(?)速い選手ばかり。必死で喰らいついてはいましたが、途中何度心が折れそうになったことか。
それでも、前日目にしていた女子部員の奮闘が私の心を奮い立たせます。
もう意地だけで前に喰らいついて、そして気持ちだけでラストスパートをかける。
フォームも何もあったもんじゃありませんでしたが、がむしゃらの走りで前方の選手をすべて追い抜き、Tシャツ短パンのクソガキがユニフォーム選手をすべて従えるという下剋上を達成。
さらにさらに嬉しいことは続くもので、10分00秒とPBをこれまた大きく更新。
陸上選手の夢である「3000m10分切り」はもう目の前に迫っていました。
これが2月時点の話。
しかしここから私はやはり10分の壁にぶち当たります。
その後も様々なロードレースやタイムトライアルに参加したのですが、どうもこの10分フラットを超えることができない。
10分05秒から10分01秒をうろつく日々。
そうこうしているうちに、共に競ってきた友人が一足先に9分58秒というタイムを出し10分の壁を打ち破りました。
どこか置いていかれているような気持ちを持ちながら、時間だけが過ぎていく日々。
そして迎えた3月29日。
1年生として走る最後の記録会。ここで10分の壁を破れなければ9分台は来年度に持ち越しです。
天気は薄曇り、気温は20度と暑すぎず寒すぎずのなかなかのベストコンディション。
最後の勝負をかけるように、私はこのレースに臨みました。
その結果。
9分50秒16
ついに、10分の壁を打ち破ることができたのです。
初めて走ったとき、12分18秒だった中学生が、わずか半年足らずで2分近く縮めたのでした。
……と、中学1年生編を語っているだけで随分と長くなってしまいましたね。
今日はここまで。
中学2年生編はまた次回といたしましょう。
次回の更新をお楽しみに!
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