2020/03/28

「ごめん、同級会にはいけません。」

「今、河合塾の寮にいます。」

なんてね。
こんばんは、シルエットです。

さて、前回の更新で「大学受験に失敗した」ことを仄めかした私ですが、事態は急展開です。

浪人に際し、シルエットは河合塾の寮に入り勉強することとなりました。

「なりました」というよりは「しました」の方がカッコいいか……


理由は至極簡単なことで、「どうせ浪人するなら一番キツイ形でやろーぜ」と思ったからです。
別にMじゃないです。
ただ、ある意味で「非現実」に身を置いた方が楽だろうな〜と思ったまでです。



……
昨年の今頃、ネット断ち宣言をしましたが、今回はしません。
もうそんな宣言をしなくてもよい環境にいるので。
毎日朝と22時〜23時の間にネットを使ったり使わなかったりします。

あとこのブログも毎週の勉強日誌的な役目を果たしてくれたらな、とも。

とにもかくにも。
一年間がんばりや〜〜す🤣🤣🤣

2020/03/10

駄文

――非定型うつ病。
 そんな聞き慣れない言葉を目にしたのは、大学入試に失敗し、そのことを通っていた予備校のチューターに伝えた日の帰りの電車の中だった。
 非定型うつ病、というのは世間一般で考えられている「うつ病」とは真逆の症状を示すもので、「お天気屋うつ病」などと評されることもあるらしい。その症状というのは、気分の浮き沈みが激しく、楽しいことを全力で楽しむ割に、楽しくないこと、苦痛なことに直面すると即座にやる気を失ってしまうというもの。また、どんなに寝ても寝たりない、いくらでも寝ることが出来てしまったり、夕方から夜にかけて一気に気分がふさぎ込んでしまう、というのも症状の一例だ。
 そして、この「非定型うつ病」になる人、というのもパターンがあるらしい。例えば、幼少期、「良い子」や「手のかからない子」として育ってきた人。責任感が強い人。自己主張や要求が出来ない人。他人に弱みを見せることを良しとせず、甘えず、甘えられず、他人に助けを求めない人。プライドが高い人。優しい人。

 「非定型うつ病」を知るに至ったのは、チューターのある一言からだ。

――君はやる気の浮き沈みがとても激しいから、それを直さないと浪人生活は厳しいものになる。

 その助言を聞いたとき、なるほどそうだ、と僕は思った。確かに振り返ってみれば、現役のときに「やるぞ!」と意気込み勉強をしたときには成果が出ていたがそれが長続きした記憶はない。チューターから発破をかけられ、一時的にはやる気が出たとしても、突然、パタッとそのやる気は消え失せてしまった。それは、受験が遠く離れていた春だけでなく、センター直前の冬も。
 これは自分の性格由来のものだと思った。高校一年の頃から、4日間の定期テストにやる気のピークを合わせられず、前半の2日はいいものの後半はボロボロというのを幾度となく経験していた。飽きっぽい性格が災いしたものなのだと思った。でも、と思い返してみる。やる気の浮き沈みが激しかったという記憶は、どう辿ったとしても「高校生」になってからしかない。中学生の頃、自身のやる気の差を感じたことなど殆どないのだ。
 中学の受験期。12月に模試で志望校D判定を叩き出してから、躍起になって勉強をした。ただひたすらに勉強に打ち込み続けた。あの、駆け抜けた3ヶ月間、途中で突然勉強をやめたときがあっただろうか。いや、なかった。
 おそらく、どこかで、自分の心に異常を来したのだろう。
 もう一度、振り返る。そして、自分の記憶の中に「トラウマ」として残るイベントがいくつかあることがわかった。
 一つは、高校一年生の秋のことだ。小さな田舎町から単身の都会の高校へ出てきた僕は、自分の能力を過信していた。中学で生徒会長を務めていたという経験もそれに拍車をかけたのだろう。あろうことか、僕は体育祭の学年リーダーという大役を背負っていた。「リーダーシップがある」、といつの頃からか思っていた僕は、この大役も自分の能力を持ってすれば全うできる、と信じていた。
 だが、それは間違いだった。
 僕は、「学年リーダー」を全うすることは出来なかった。
 自分にはリーダーシップなんてなかった。中学の頃、そう思わせていたのは周りが有能だったからだ。そして、今回もそうだった。だが、唯一違ったのは、周りが「有能すぎた」ことだ。有能すぎた周囲の人間は、無能なリーダーの存在を疎ましく思い、気がつけば「リーダー」というのは名ばかりで、僕が何かをする権限はもはやなくなっていた。だが、それも決して周囲の人間が悪いのではない。要領が悪く、優秀な働きが出来なかった自分が問題だったのだ。
 この経験は決して悪いものではなかった。今ならば言える。自分がどういう人間であり、どういう立場であるべきなのかを痛感させられたからだ。
 もう一つ。それは青春のスパイスといえばそうなのだが、「失恋」だ。実は中学時代も失恋を経験しているのだが、中学時代と高校時代の失恋は少々様相が異なる。(どちらも部内恋愛に踏み切ろうとした、という点では同じなのだが。)中学時代、僕を振ったあの人は、今もなお「よき友人」として交流がある。しかし、高校時代に僕を振ったあの人は、同じ部内でありながらそれ以来一切の会話がなくなってしまった。明確に、避けられるようになった。それまではお互い楽しく冗談をも言い合う仲であったというのに。しかし、まあこれも当然の結果といえば当然だ。今まで仲良くやっていただけの一友人が、告白して、なおかつそれを断ったともなれば居心地も悪くはなるだろう。それゆえに、疎遠になる、というのもごくごく自然なことだ。今だからそう思える。でも、その当時、その態度の急変に気持ちがついていかなかったのは覚えている。一つの行動で、こうも人間関係を変えてしまうのかと思った。
 おそらく、この二つのイベントが、自分の精神に異常をもたらした原因なのではないか、と思う。あれ以来、極度に他人の視線を気にするようになり、自分がどのように見られているか、どのように思われているかを考えないことには行動ができなくなった。自分が振る舞いを間違えば、人は自分のもとを離れていくのを身を以て体験したから。

 しかし。
 自分に「非定型うつ病」の疑いがある、とわかったところでなにか変わるわけではない。「ああ、そうなのか」と思うだけだ。これは確かに病気なのかもしれない。だが、診療するほどのものではない。あいにく。
 大学受験に失敗した、という事実。ならば、こんな文章を書いている暇などないのだ。
 こんなことを書いたとて、それは「駄文」にすぎないのだから。



















なども重苦しい(?)前置きはこのくらいにして。
なにが言いたいかといいますと、

「絶対症状でググるな」

ということです。



名曲だからぜひ聞いてね(ステマ)