2021/09/22

文豪と出会った夜

 まさか読書感想文でブログを更新する日が来ようとは。

 こんばんは、シルエットです。

 皆さんは夜寝る前に行う日課などはありますか?例えば瞑想、例えば読書。ある人にはあり、ない人にはない。日課というのはそういうものだと思います。

 かくいう僕は、日課と呼べるほどのものではないのですが、寝る前によくpixivを見ています。主に「#八月のシンデレラナイン」ですとか「#IDOLY_PRIDE」といったタグで検索をかけて、イラスト・小説その両方の新たな作品をチェックしています。

 ただ、確固たる日課たらしめないのは、まだまだ発展途上な両ジャンルが故、毎日新作が投稿されているかと言われると、そうでもないわけです。イラストはまだしも、小説は特に。ですので、寝る前にpixivを開いてはみるものの、目新しい作品はないまま床につくなんてこともザラなわけで。

 そんな感じのゆるふわルーティンの中で、僕は出会ってしまったわけです。文豪に。

 という前書きで今日の記事は、冒頭にもあったように読書感想文。つまるところ、ちょっとすごいとかいう次元じゃない、本当に魂が震えるような作品に出会ったわけでして、せっかくなのでこの思いを記事にして皆様に紹介しよう、というお話。


 今回ボクが出会ったのは、これま氏『失礼な彼と意地悪な彼女の一日 << 乙女たちは唄う』という、ハチナイの二次創作SSです。

 まずこの作品、目を引くのが134,128文字という圧倒的文字数。読了目安:4時間28分ってのも始めてみました。ちゃんとデータを採ったわけではないので、あくまで肌感覚えではありますが、ハチナイのSSで10,000文字を超える作品はそうそうありません。連載作品で累計の文字数が万を超えているものは多々あるかもしれませんが、一話完結の作品でこの文字数はやはり珍しい。

 なかなかこの文字数ですので、読むのも大変だろうということで、さらっと話のストーリーを……といきたいところではありますが、そうもいきません。

 この作品は、実際に読まなければ意味がありません。僕が書くような、所謂「尊いシチュエーション」だけのものではなく、これま氏が綴る一文字一文字を読み解いてこその作品なのです。

 だから読め!読め!!さあ!!!ほら!!!!

 はい、あとは読んだことを前提に進めますね。

 まず僕が最初に心揺さぶられたのは、練りに練られた細かい設定群です。例えば冒頭に出てくる「木下通り」。ハチナイの監督さんであれば「ああ、あそこね」とすぐさま理解できるであろう概念です。もし僕が木下通りをSS内で登場させるならば、さしたる説明もせずに「木下通り」という言葉だけで片付けてしまうでしょう。

 それが、この作品ではどうでしょうか。「木下通り」をまず「この街のオシャレの聖地」という、なんだか小気味の良い言葉でしっかり定義付けを行っています。そしてそこから、木下通りに点在する様々なお店のことや、「路地を挟んだ裏道の先」という新たな概念をも登場させながら、よりリアルに「木ノ下通り」を肉付けしていきます。

 するとどうでしょう。今現在文字を読んでいるにも関わらず、頭の中では何処かのおしゃれな街並みが、まるで映像のように浮かび上がってくるのです。余談ですが、僕は前半部分の描写を天神のあたり、後半部分の描写をヨーロッパのどこかしらの風景で想像しています。あと、そのあとのひだまり駅は、僕の慣れ親しんだ駅で思い浮かべています。何処とは言いませんけど。

 場所の描写が続いてきたあとには空の描写。空はいいですね。雲の様子で天気のみならず、季節や感情をも表現できるので。この作品でももれなく、「快晴」や「春の日和」といった表現で、清々しい華やかな気分がもり立てられますね。

 さて、風景と季節といった想像が済んだところで、今度は人物にスポットライトが当たります。これもまた感嘆の息が漏れるばかり。

 先程の描写の細かさからブレることなく、登場する人々の姿形が恐ろしい勢いで脳内に流れ込んできます。これは二次創作作品ですので、既存のキャラクターであれば立ち絵的なイメージは瞬時につくものです。だからこそ、僕は描写をサボるのですが、この人は絶対にそんなことはしない。それどころか、キャラクターの性格に反しない範疇でアレンジを加え、よりキャラクターをそのキャラクターらしく仕立て上げています。これは本当にひとえに尊敬の念以外ありません。まじで。

 そして人物の描写というのは、服装や髪型だけにとどまりません。台詞内での言葉の使い方や台詞のあとでのキャラそれぞれの反応。それらの要素を巧みに操り、既に確立しているキャラクター像から全くブレることなく作品を作り出しています。前述したように、今まさしく文字を読んでいるはずなのに、明らかにアニメやドラマといったたぐいの映像作品を見ている、そんな感覚に襲われてなりません。

 ちょっと話が右往左往していますが、ここまでで紹介したのは設定や描写といったある種技術的な面。じゃあ、ストーリーはどうなんだよ?という話ですが、これもまたすごい。

 先に申し上げたとおり、13万文字というなかなかとっつきにくい文字数であるにも関わらず、読んでいる間、僕の目と指は止まるところを知らず、0時から2時くらいまでぶっ通しでストーリーを追い続けました。だって先が気になって仕方ないんだもん。

 台詞回しや感情表現が巧みという話をしましたが、それはもちろんストーリーにも深く関わってきていて、無理のない流れで緩急を見せながらも軽快に物語が進展していくのです。登場人物全てが、単なる舞台装置を飛び越えて、確固たる人間として動いているものですから、本当に先が読めなくてハラハラドキドキさせられっぱなし。僕のSSなんかだと、どうしても透けて見える予定調和なんてものも全く見えません。

 ところで僕は、ハチナイの魅力を紹介するときによく「良い意味でも悪い意味でも人間臭いキャラクター」と評するのですが、この作品に出てくる人々はまさに「人間臭い」。たとえキャラクターであったとしても、それは一人間であるがために、上品なところばかりだけでなく、下品だったり下世話だったりの見せない部分を抱えているもんです。それがこの作品では、嫌味なくでもありありと描かれている。人物らの考え方が人間臭いから、ことあるごとに共感して心が近づいてしまうんですね。

 ここまで語ってきた「感情」という点。これも例外なく、深く深く考えられた上で物語られています。ハチナイというジャンルの性質上か、「悩み解決」という部分はある意味で切っても切り離せないものかもしれません。しかしながら、悩みとは思い煩う心の苦しみであって、そう簡単に解決できるものではありません。僕のSSでありがちなんですが、監督がひょんなことを言って、その一言に救われるなんて展開。書いてるときは「あは~~~~かんとくかっけ~~~」みたいになってるんですが、あとから読み直すとどうしても作者(=僕)の浅はかな考えが透けて見えて、ダサく見えるんですよね。だって言葉に深みがないもん。それはやはり知識と想像力が足りないからなのでしょう。

 それが、この作品にはない。まーったくない。ゼロ。一見ひょんな一言であっても、その言葉の裏にはものすごい奥深い感情が渦巻いていて、それをひっくるめた結果。そういう言葉で悩みを解決の方向へと導いているわけです。見かけ上は一緒に見えるけれど、深みってやつが段違いなわけですよ。

 




 と、いった具合にとりあえず書きたいことは全部書けたのですが、つまるところどういうことかといいますとね。

「高解像度の映像が脳に流れ込んできてたまんね^~」ってことです。

 あと同時に「自分もこれぐらいしっかり考えと文章を練って執筆をしなければならない」とも思いました。

 皆もいろんな作品を読んでみましょうね!

 おやすみなさい~