高校の陸上部の同期と中国地方に旅行に行ってました。こんばんは、シルエットです。
高校卒業以来、浪人やらコロナやらで一度も集合できていなかったのですが、浪人生活も終わり、緊急事態宣言も解除され(福岡)、さらに奇跡的に十数名のスケジュールの調整がついたこともあり、1泊2日の旅行を実行しました。……「実行しました」といっても僕は完全に誘われる側だったのですが(笑)
山口・広島を駆け巡った弾丸旅行。まさに若気の至りと言いますか、細かい計画はあまりせず、「とりあえず行く」「なんとなくやる」のオンパレード。行き先は決まっているものの道順は決まっていない。突発的に出発するなんてのもザラ。ハプニングも数しれず、でもそれが楽しみを増長するスパイスになる、そんな濃厚で濃密な旅でした。
話は変わりますが、僕は浪人生活終了を期にインスタグラムをはじめました。いや、正確には「再開」しました。以前やっていたのですが、センター試験が終わったあと、あまりの結果の悪さに同級生全員が敵に見えてアカウントごと完全消去してしまっていたので、その時以来約1年ぶりのインスタ開設でした。
以前インスタをやっていたときは、ツイッターのノリといいますか、ストーリーにつまんねーことを投稿する、みたいなことをやっていました。しかし今はSNSとしてのツイッターは随分下火な世の中。ツイッター特有のノリをインスタで出したところでサムいだけだろうと思い、なるべく「インスタっぽい」おしゃれな投稿だけを心がけています。
たとえば、新しいランニングシューズの投稿をするとき、いかにもインスタっぽく靴を並べて、ゴリゴリに加工して、ちょっと洒落ったい文章とハッシュタグをつけて投稿するみたいな。
そんな感じで、今まさに「インスタ勉強中」というような日々を送っています。
そして今回の中国旅行のあとも、風景や食べ物の写真を加工してインスタにアップロードしようと考え、帰宅後にスマートフォンのアルバムを開きました。そこで僕は思うのです。「僕はインスタグラムに向いてない」と。
というのも、濃密だったはずの2日間で、撮った写真は僅か数枚。それも誰かに撮ってもらった集合写真的なアレ。インスタに投稿するような、綺麗な風景や美味しそうな食べ物の写真は一枚たりともありませんでした。
「おいしい食べ物も綺麗な風景もなかったのか?」と問われると、答えはNOです。山口では秋吉台から満点の星空を眺めましたし、広島では工事中だったとはいえ宮島を訪れ、広島風お好み焼きやもみじ饅頭といったご当地の食べ物に舌鼓を打ちました。宮島でやった「食べ歩き」なんてインスタ映えそのものであるにも関わらず、やはり僕のスマホには写真は殆ど残っていないのです。
なぜか?答えは簡単で、僕は根っからあまり写真を撮らないタイプの人間なのです。単純に写真を撮るのが下手、ということもありますが、それ以上にカメラに夢中になって、今目の前で起こっている現実を見逃してしまうのが惜しいのです。
今回の旅でもそうです。宮島までの移動のフェリー。みんなはスマートフォンを構えて展望台から望める海や島の風景を収めようとしていましたが、僕はただ黄昏るように外を眺めるだけです。いや、眺めるというよりむしろ焼き付けるといった感じでしょうか。今この記事を書いているとき、船から見た光景はありありと思い出されます。誰かが撮った写真なんかに頼る必要もなく。
宮島に降り立ってからもそうです。どんなコースで島の中を散策し、どんなお店で食べ物を買ったか。友人の誰がシカと戯れていたか。どんなものを食べて「美味しい!」とともに表情をほころばせたか。
つまるところ、僕は撮るよりも見ることを優先し、思い返すことよりも思い出すことに価値を見出すようです。結局写真は一枚も手元に残らず、でも記憶のなかには様々な写真以上に動く何かが残っている。
これはいつかお寺の住職さんから聞いた話です。「我が子を撮ろうとカメラを向ける親御さんは、撮ったものなしでは我が子のことを思い出すことはできない」と。
全てにおいて、一概にそうであるとは言えないかもしれませんが、でもどこか共感できる部分もある話ですよね。
フォトジェニックよりもメモリージェニックでありたい、でもメモリージェニックってなんだよ、と心のなかでツッコミながら。
おやすみなさいませ。
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